主催者挨拶
受賞おめでとうございます。
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「第41回全国高校生読書体験記コンクール」の中央入賞者の皆さん、受賞おめでとうございます。今回は全国449の高等学校から、昨年を大きく超える83,500編あまりの応募がありました。作品をお寄せくださった全国の高校生、先生、各地の新聞社の方々、そして選考にあたられましたすべての皆さまに厚くお礼を申し上げます。
今年度は受賞者の皆さまとweb表彰式で喜びを分かち合い、お祝いをすることといたしました。
一昨年来、新型コロナウイルス感染症との闘いは続いていて、私たちの、生きる上で大切な人との対話や集まりや移動が制限されて、これまでの日常は大きく変わりました。いま世界は歴史の転換期を迎えています。このコンクールは、高校生に、自分の読書体験を綴っていただくことによって、自分の人生と読書のかかわりをあらためて見なおし、読書の喜びと楽しみを発見していただくものです。
一冊の本との出会いが、さまざまな生き方や考えを知り、豊かな人生を歩む力になることを願っています。これからの時代を拓き、これからの社会を担う高校生を応援してまいります。

表彰








選考委員紹介
作家 辻原 登さん
歌人 穂村 弘さん
作家 角田光代さん
文部科学省初等中等教育局
主任視学官 長尾篤志さん
全国高等学校長協会
林 達也さん
講評
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『いつか、カムパネルラに』を書いた佐藤楓恋さんは、『銀河鉄道の夜』で抱いた疑問を『永訣の朝』という詩でさらに深め、日本文学者に話を聞きにいって、答えを自分なりに生み出す。その過程において、祖父の死にたいする「静かな憤り」が、静かな愛情へと変わっていくさまがのびやかに描かれている。
徳田秋聲の未完の小説を読んだ原﨑咲来さんは、「未完」であることの意味を考え、未完であることは登場人物たちを閉じこめる檻ではなく、終わらない未来へのスタートだと結論づける。この体験記もまた未完にすることで、自身の将来へと舵をあらたに切っている。
パンデミックの自粛生活で警察犬の物語を読んだ木和穂乃香さんは、冬休みを利用して警察犬訓練所の研修に参加する。その行動力に私は驚き、穂乃香さんの「叶えたい未来のために」、心から拍手を送りたい気持ちになった。まさに読書と体験が一体となり、それが将来へのたしかな道となっている。 『もしも恐竜がいなかったら』を書いた高須賀凪冴さんは、「鳥は恐竜だ」という説に異を唱えたくて鳥類学者の本を読む。結果的に、鳥類の祖先は恐竜だとする著者の言葉に納得するのだが、そこに至るまでの思考がていねいに、堅実に描かれていて、なるほどと私まで納得させられた。
『二十四の瞳』に登場する、家事をせねばならない子を、ヤングケアラーだとする矢野愛実さんの文章が新鮮だった。戦前から終戦後、貧困家庭は多く、そのために進学できない子は多かった。それを当然のこと、しかたのないこととせず、現代にあてはめる矢野さんの文章は、静かだが、強い意志で「気づき」の重要性を語っている。
永田詩織さんの『夢の折り目』は個性的な文章で綴られる、一編の小説のようだ。電車に揺られる時間、本を読む時間、そして模型が立体になっていく時間が、このうつくしい文章には平行して流れている。小児病棟の模型が立ち上がり、そのとき永田さんの夢もまた立体になる。その瞬間の描写に感動した。
『親への噓は愛情か』というタイトルがまずいい。学校でいじめを受ける子どもが、それを親や教師に言えないのは、いじめられている自分が恥ずかしく、親にたいして、そんな子どもで申し訳ないという気持ちがあるからではないかと、私は思っていた。でも岡﨑愛子さんは、それは親への愛情ゆえだと分析する。その視点のやさしさが新鮮だった。
自身が聾者である奥田桂世さんの『聾者は障害者か?』の、読書に端を発する骨太の思考と、それを文章にする際の的確さが、読み手にとって頑強な説得力となる。聾者に囲まれた状況で、健聴者が「普通ではない」と思っていたという箇所で、私が漠然と見ていた世界がぐらりと揺らぎ、反転した。日本手話についてのエピソードも興味深く、「少数民族」というたとえも驚くほど伝わりやすい。限られた文字数のなかで、世界が揺らぎ反転し、深く考えるという体験を読む側にさせてくれる、柔軟でありながら強固な体験記だ。この体験をできたことが、私はうれしかった。

祝辞
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今回、審査を通して、高校生の皆さんが多様な読書体験をされたことが強く印象に残りました。 一つ目は、自分自身と誠実に向き合い、これまでの出来事などの意味を見つめ直していること。高校生の頃、これまでの自分を振り返ったり、 家族や自分の周囲にいる人との関係を振り返り、今後の生き方を考えたりすることは重要な体験だと思います。二つ目は、読書によって、これまで何となく感じていたことがらを課題として明確に意識するようになったこと。生活の中で、何となく違和感を感じたり「おかしい」と考えていたことが読書によって、自分の取り組むべき課題として、あるいは魅力的な課題として自覚されていました。三つめは、間接的ではありますが、作者と深く対話をしていること。登場人物の行動の意味や物語の展開の意味を考えたりするのは、特に小説を読むときの醍醐味だとも言えますが、間接的に作者と対話を重ねることになると考えます。この読書体験記の執筆が、これから皆さんが大きく羽ばたくきっかけになることを期待しています。

祝辞
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入賞された皆さん、おめでとうございます。
さて、本を読むことは、どうして大切なのでしょうか。
私は、読むことで世界が広がるということも、その理由の一つであると考えます。今回の入賞者が読んだ本からは、例えば脳のクセを知ることで、人間を新たな角度からとらえることができることが分ります。また、さまざまな業界の事情を知り、そこで働く人たちのことを通して人生を考えることができますし、家族との向き合い方を考える材料を提供してくれる書物もあります。
本を選ぶときに、私たちにはそれぞれ「クセ」があります。その結果、なかなか縁のない分野ができてしまいます。読書体験記は、他人の文章を読んで新しい世界に入っていくきっかけを作ってくれます。私は、入賞した皆さんの文章を読んで、新しいジャンルの本を読む機会ができ、自分の世界が広がることを感じました。読書体験記が、たくさんの人を新しい世界にいざなっていくことを期待します。










答辞
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今回の読書体験記コンクールで、まさか自分が栄誉ある文部科学大臣賞を頂けるとは思っていなかったので、驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。表彰式の際には、受賞者や選考委員の先生方と様々な会話ができることを楽しみにしていたのですが、オミクロン株の感染拡大の影響で中止になってしまい、非常に残念です。
『生贄探し』という本は、学校の「総合的な探究」で、「なぜ他人の不幸は蜜の味なのか」について考察する際に読んだ本です。私は以前から疑問を抱いている事があります。それは、人類の誕生から長い年月が経ち、ヒトは大幅な進化を遂げてきたはずなのに、人間は一見無い方が良いように見える妬みやネガティブな感情などの醜い気持ちを持ち続けているということです。なぜ、人類はこの感情を残し続けたのか、この疑問を解消するために、様々な本を読んで出会ったのがこの本でした。そして、この本は私の疑問を解決する糸口になり、さらに「多様性」という言葉を見つめ直すきっかけともなりました。
私には生まれつき聴覚障害があります。しかし、私は、「ろう文化」といった聴覚という感覚を持たないことによって生まれた文化のもとで育ったので、「聴覚障害者」としてではなく、「ろう者」としてのアイデンティティを持つ、ひとりの人間として誇りを持っています。私以外にも、そう思う「聴覚障害者」が大勢います。聴覚障害があるのに、誇りに思うなんて凄いと思う人もいるでしょう。しかし、それはそれぞれを取り巻く環境によって変わると思います。私の場合は、家族全員に聴覚障害があり、幼少期からずっと聾学校に通い、周りは自分と同じように耳が聞こえない人ばかりだったからだと思います。
最近、多様性を認め合う、多様性のある社会といったような一文がよく見られます。しかし、「多様性」という言葉は、現在の世界で胸を張って言えるような言葉ではないと思います。なぜならば、耳が聞こえない私たちのように、健常者とは異なった面を持つ私たちの事を「障害者」と名付け、敬遠したり排除したりする光景がまだ見られるからです。しかし、「障害」や「異質」という言葉は相対的なものだと思います。ろう者に囲まれて生きてきた私にとっては、耳が聞こえる聴者の方が異質に見えることがあります。世界中には本当に様々な人々がいます。様々な人々が存在するこの世界で生きていくからには、自分とは異なる存在と一緒に何かをしようとする時に、うまく分かり合えない状況が必ず生まれます。この難しい状況こそを、「障害」と呼ぶべきなのではないでしょうか。異質な者が沢山いるこの世界で、誰が「障害」なのかを決めつけていたら、切りがありません。「障害」という言葉を考え直すことによって、「多様性」の意義が高まるのではないかと私は強く思います。
最後になりましたが、このように自分の思いを発表する機会を与えて下さいましたことを、感謝申し上げます。また、選考委員の先生方、一ツ橋文芸教育振興会の皆様に心よりお礼を申し上げたいと思います。


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