高校生のための文化講演会 谷村志穂先生の講演
谷村先生
 2000年6月19日
 福岡県立小倉工業高校にて

 作家 谷村 志穂

 自由な学校のユニークな先生たち
 今日、この小倉工業高等学校へ着いたところ、「百周年」という文字が目に入ってきました。 伝統がある学校なんですね。私の卒業した札幌西高も、 旧制二高と呼ばれていて伝統のある学校でした。皆さんはいま制服を着ていますが、 私の高校は、高校全共闘というものがあったときに、制服を撤廃したんです。 つまり、時代が大きくうねって、
世の大学生たちが社会を変革しようとして激しく戦って機動隊なんかとぶつかっていたときに、 高校生もこれに参加しようという動きがあって、私の先輩の高校生たちが立ち上がって、 その時にいろいろなことを撤廃しました。
 その一つが制服の撤廃で、 それから学校から与えられた校則を撤廃して毎年生徒の自主性の中で一つ一つ校則を作っていこうということになりました。 こちらの学校の校歌の中には「文化」という言葉が入っていて、 それを大事にされているということですが、 私の高校では「自律」という言葉がとても大きな意味を持っていて、 自由ではあるけれども、自由と責任は一緒について来るという意味で、 自律という言葉が使われていました。
 基本的にはとても自由な高校で、制服はないし、基本的な校則もないし、 髪型とか耳のピアスとかも自由で、もっといえば、 お化粧していても何か言われることは本来的にはなかったんです。 そういう学校なので、先生たちもいろいろユニークなメッセージを放っていました。 たとえば数学の先生は消費者運動をやっていて、 当時ちょうど自然の汚染の問題が言われ始めていた頃で、 その先生は授業中にいきなりみんなの前で中性洗剤で手を洗って、 その手を化学薬品の中に入れる。 すると、手からぶくぶく泡が出てきて、 「きみたちがいま使おうとしているのはこんなに恐ろしいものなんだ」というようなことを言ったり、 昼休みに学校放送をジャックして、いきなり放送室に入って、 「なんとか洗剤を使うな」と言い出して他の先生たちに捕らえられたりとか、 いろんなことがありました。
 それからよく覚えているのは、すごいロマンチストの音楽の先生です。 みかけはロマンチストからはほど遠い感じの、 ちょっと前歯が出ていて髪も薄いという先生だったんですけれど、 私の同級生の女の子に恋をしてしまったんです。 その彼女に毎週のように熱烈なラブレターを送っていたんですが、 その彼女はとても意志の強い、背筋がピンと伸びた子だったので、 それをずうっとひとりで胸の内にしまっておいたんですね。 それでも、あるときに何人かの女子生徒を集めて、私はとても不愉快だ、 こんなラブレターをもらってとても迷惑に思っているんだけれどもどうしたらいいだろうと相談して、 その結果女子生徒たちが集まって先生のところへもう止めるように談判しにいくことになったんです。 そうしたら、その音楽の先生は泣いてしまったんです。 その姿を見て、ああ、この先生は本当に恋してたんだと、ある種感動しました。
 先生も生徒も本当にいろいろな人がいて、さまざまな営みがあって、 そういう中で時間を過ごしていたように思います。

 『悲しみよこんにちは』との出会い
 いま思うと、高校時代にはいろいろな楽しいことがあったはずなんですけれども、 私はその頃、なぜかとても白けた高校生でした。 中学や高校の頃というのは、それぞれの才能が一番はっきりしてくる頃ですね。 みんなで何かを作っても、ダントツにうまい人もいるし、いくらやっても不器用な人もいる。 スポーツでも群を抜いて注目を集めている人もいれば、 同じように練習をしているのに芽が出ない人もいます。
 私のいた高校では文芸サークルのようなものがあって、 すでに綺羅星のような詩を書いている女の子もいれば、 天文の分野で新しい星を見つけそうな勢いの人もいれば、 昆虫にものすごく詳しい人もいたし、ピアノを弾くとみんながうっとりするような人もいて、 いろいろな才能があちこちで芽吹いているのに、私自身は自分の方向がまったく見えていなくて、 しかも日々いろいろと起こる出来事にも馴染めずにいて、不器用な日々を送っていたんです。 ですから、学校をさぼったり、学校の帰りにディスコへ直行して夜中になると家に戻る、 そんなことをして過ごした時期もありました。 でも、自分はいまは何も見つかっていないけれど、 このまま時間が過ぎていくのではないだろうという気持ちもどこかにありました。
 そんな中、授業には出なくとも図書館にはよく行っていて、 ある日、フランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』という、 ピンクの背表紙に白抜きのタイトルのとっても薄い小説を見つけたんです。 「悲しみよこんにちは」というタイトルが何となく胸にしっくりきて、読んでみると、 フランスの上流階級の若い女の人の主人公がやみくもに青春の時期を疾走していて、 すごく素敵な、でもひりひりするような青春が描かれた小説でした。
著書をプレゼントする谷村先生
 私はそれを読んでとてもショックを受けました。 いろいろな意味でショックを受けたんですが、 一つはその小説を書いたフランス人女性の作家がまだわずか19歳だったこと。 その人はたった19歳でこんな小説を書いて世界に発表しているのに、 私は何をしているんだろう、なんだかわからないけれども、 世の中にはこんなふうにして生きている人がすでにいるのだから、 私も急がなくてはいけないなとふっと思ったんですね。
 彼女は一度高校を中退してしまうんですけど、その後もう一回ソルボンヌ大学に入り直して、ポルシェを買って、買ってすぐに事故を起こして九死に一生を得るんです。
私には、それすらも彼女が持っているスピード感に思えて、私も早く大人になって、 いつかポルシェを運転するようになるんだと北国の図書館の中で思ったんです。 実際、30歳になる直前に赤いポルシェを買って運転し始めたんですが、 その車のスピード感、その車が持ってる魅力はとっても大きなものでした。 世の中には本当に素晴らしい車とか、本当に素晴らしいデザイナーとか、 ごくごくわずかだけどいます。そういうものにできるだけ早く出会って憧れるというのは、 私にとってそうであったように、 みなさんにも、人生の豊かさの一つになると思います。

 嫌なことは嫌と言える人に
 高校生の時にそんなふうにいろいろなものに出会ったのですが、同時に失恋もしました。 不思議なもので、その失恋がきっかけとなって大学に入ろうと思うようになったんです。 それからは急に学校へも行くようになったし、受験勉強も始めて、 なんとか北海道大学農学部の応用動物学講座という野生動物の生態を研究するところに入ることができました。 サルとかヒグマとかエゾシカとか、 いろいろな生き物がどんなふうに行動しているかを森の中に入ってキャンプしてそれを観察するというところなんです。 本当はそのまま大学院に入って動物の研究をしていくつもりだったんですが、 いざ大学院に進もうとした時、担当教官に呼ばれて、 「谷村さん、あなたは科学者には向いていないと思います。 あなたの論文は面白いけれど、論文が面白いのは科学者に向いていることではありません。 本来、実証すべき事実の積み重ねをすっとばして文章の力で表現しようとしてしまう。 それは決定的に科学者には向いていない資質なので諦めてください」と言われたんです。
 これにはとてもショックで、どうしたらいいんだろうと思ったんですが、 これも人生の不思議なところで、 それを言った私の教授というのは森樊須先生といって森鴎外の孫なんです。 その森先生が、「あなたどうせだったら作家にでもなったらどうですか」と、 非常に無責任に言ったんですね。 まさかその後本当に私が文章を書いてこんなふうに本を出すなんて思わなかったでしょうけれど、 私が最初の本を出したときにはすぐにお祝いに駆けつけてきてくださって、 モンブランの万年筆と、森家に代々伝わっている『森鴎外全集』を全巻お送りいただきました。 いまでも応援してくださって、感謝しています。
 いまお話ししたことからもおわかりになるように、私自身、 何か一つのものを目指してそれにまっすぐ向かっていって達成してきたわけではありません。 いろいろなことが思う通りにならなくて、でもなんだか走っているうちに、 いつも心の中にあったことの方向には向かってきたような気はします。 動物の研究はできなかったけれども、高校生の頃から何かをずっと書いてはいて、 気がついたらそちらに向かっていた。 いろいろな寄り道や失敗をしつつ、驚くこともたくさんあったけれど、 どうしても嫌だと言うことにノーを言い、 自分が本当はこういうことをやりたいんだということを体で現していると、 誰かが思わぬことを言ってくれたり、光を当ててくれるのかもしれませんね。 そうやって、考えてもいなかったけれども何かこれというチャンスが来たら、 とにかく乗ってみるというか、そういうものに賭けてみるのも、 せっかく一度の人生です、面白いじゃないですか。
 最後に一つだけ、やっぱり、 魂があらがうような嫌なことには嫌ということを言える人になってほしいなと思います。 たとえば、これからみなさんが社会に出た時に、 ものすごくたくさんお金を貰える仕事に就くかもしれません。 でも一所懸命に働いてその果てに生み出されるものが、 地球やみんなの命にとってよくないものだった時には、 はっきりノーと言える人になって欲しいと思います。
 それが社会の動きの中に自分の力を荷担することだと思います。 そのことをときどき立ち止まり、考えながら、 自分が取るべき道を選んでいってほしいなと思います。
 
谷村先生
たにむら・しほ●作家。北海道生まれ。'90年、『結婚しないかもしれない症候群』が話題に。 著書に『ハウス』『自殺倶楽部』『ジョニーになった父』(いずれも集英社文庫)の小説の他、 『1DKクッキン』『恋して進化論』(いずれも集英社刊)等のエッセイがある。


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