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村山 由佳/野口 健 |
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![]() 仮進級から停学へ ![]() | |
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村山 | 野口さんはイギリスの高校へ行っていらっしゃったんですよね。 |
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野口 | ええ。イギリスといっても、立教大学の付属学校なんです。
まあ、学校時代はろくなことがなかったですね。
まず、高校へは仮進級で、正式な高校生じゃなかったんです。
あそこは小中高とエスカレーター式だから、基本的には全員上にあがれるはずでしょう。
ところが中三のときの成績があまりにもひどくて、お前は違う学校へ行けと(笑)。 こっちも必死ですから「規則としては全員上がれるんですよねえ」「いやそうなんだけど」 という話になって、少しもめたんです。そこで職員会議が開かれて、 なんとか仮進級になったんですが、それまでそういう制度はなくて、 ぼくのために作られたようなもので、ぼくが第一号なんです。 で、99年にエベレストに登って、その報告をしに学校へ行ったとき、当時の先生に、 「あれから何人くらい仮進級があったんですか」って聞いたら、 「おまえで始まってお前で終わった」(笑)。 というわけで、ぼくの高校生活というのは仮進級から始まったんです。 |
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村山 | 私も立教だったんです。やっぱりエスカレーターで、女学院から大学まで。 |
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野口 | 女学院というと女子校ですよね。 |
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村山 | 女子校というとお嬢様学校だと思われがちなんですけど、 異性の目がないだけにものすごく下品になっていくんですよ。 |
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野口 | そういえば、立教女学院の先生がイギリスに来たことがありますよ。 女学院でものすごくいじめられて、それで辞めてイギリスに来たんだといってました(笑)。 |
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村山 | いじめって、どんないじめですか。 |
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野口 | たとえば、夏になると、 女子生徒たちが授業中にスカートをめくり上げてパタパタとやるんですって。 |
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村山 | それ、いじめじゃなくて普段の姿ですよ。 夏なんか冷房もないし、暑くて。 先生のことなんか異性とは思っていないし、とにかく女の方が数的に力を持ってますから、 どんどん恥じらいがなくなっていく。でも、本人たちにしてみるとものすごく自由なんです。 |
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野口 | ぼくもそれはいじめじゃなくてサービスでしょうっていったら、
「いや、野口くん、抑えるのが苦しいんだ」って(笑)。 話を高校へ戻すと、そうやってやっと進級できたのに、 入って一カ月も経たないうちに停学になってしまったんです。 というのも、仮進級というのは、文化祭とかクラブ活動とか生徒会とか、 生徒がいろいろやる行事に参加できない。ほんとに仮なんです。 |
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村山 | けっこうシビアですね。 |
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野口 | あるとき教室でぼけーっとしてたら、「おい、仮、仮」というんです。
何かなあと思ったら、担任が「おい、野口、お前のことだよ」といって、で、
みんなにばれちゃったわけです。
以来ぼくのあだ名は「仮」とか「仮ちゃん」になって、いまだに当時の友達と会うと、
「仮」って呼ばれる。そんなこともあって、かなり苛々してたんです。
何かのときに、先輩にお前態度悪いぞといわれて、
この野郎って殴ったら相手が怪我しちゃったんです。それで停学です。 とにかく厳しい学校で、朝の九時から授業が始まって終わるのが夜の十時。 学期期間中は一日も家に帰れなくて、土日も学校の中なんですね。 授業も日本語と英語の両方ですから、みんな必死に勉強する。 異常な雰囲気なんですよ。右向け右といったら、みんなぱっと右向くような感じで。 ぼくはだいたい逆を向きますから、そこでなかなか受け入れられなくて、ちょっと苦労しましたね。 |
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村山 | イギリスの寄宿学校みたいですね。 |
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野口 | 実際、イギリスの寄宿学校を参考にして作ったんですけど、
英国人の先生いわく、こんなに伝統的な厳しい寄宿学校はもうイギリスにも残ってないと。
この間、防衛大に入った同級生と会ったら、
「みんな自衛隊はきついきついっていうけど、立教に比べたら全然きつくない」っていってましたよ。 日本の立教はどうなんですか。 |
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村山 | 私にとってはわりに自由な校風でしたね。 ただ、私も好きなことは一所懸命やるけど、嫌いなことにエネルギーを注ぐのはものすごく苦手で、 高校一年から二年にあがるときに、 理数に進まない子も数IIのAは絶対に取らなければいけなかったんです。 でも私は学年主任の先生に直談判しに行って、この先どんなことがあっても、 私は数学が必要になる人生は歩まないことがわかってる。 「ハイスクールを灰色スクールにしたくないんです」といって、 特別に私だけ数IIAを免除してもらったんです。 |
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野口 | よく許してくれましたね。 |
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村山 | いま考えると、一番の恩人はそのときの学年主任だったかもしれませんね。 それで、授業中に何をしているかというと、ノートを取るふりをして小説を書いて、 それをみんなに回し読みさせる。で、当然成績は下り坂になるし、 このままではどこの大学にも行けないと言われてまって。 |
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野口 | 全員が立教大学へ必ずしも行けるとは限らないんですよね。 |
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村山 | 私の学年は二百人いたんですけど、 成績が上のほうの人たちは東大とか他の大学へ行って、 真ん中辺の連中が立教大学あるいは立教女子短大へ行くという感じなんです。 ともかく私は進学のことなんか何も考えてなくて、何も知らずに、 進路指導を受けたときに、志望校の欄に、早稲田、上智、 立教って知ってる大学の名前を書いたんです。 そしたら先生に、「そろそろ真面目に考えなさいね」っていわれて、すごく傷ついた。 |
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野口 | まだいってくれるだけいいですよね。 ぼくは二年生の時に担任から「お前どうするだ」っていわれて、 「いや、考えてないですよ」「そりゃそうだろうな」って。 冗談で、「立教大学どうですかね」っていったら、「ハハハ」って笑ったままいっちゃた(笑)。 |
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村山 | 何しろ口惜しくて、それからは一夜漬けだったのを一週間漬けにして、
そしたら一応成績は上がるんです。やってもどうせだめだと思っていたんですけど、
勉強すると成績が上がるってはじめてわかった。
で、一番最後のテストでようやく偏差値がぎりぎり乗って、
先生に「あなた推薦ワク中の栄えあるビリよ」って、通信簿で頭なでなでしてもらったんです。 いま考えると、「そろそろ真面目に考えなさいね」という言葉も、 わざと奮起させるようにいってくれたのかなあと。 |
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![]() 危機に際して攻めに転じる ![]() | ||
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野口 | 高校時代は、よく先生に殴られましたね。 でも、殴られながら相手の顔を見るじゃないですか。そうすると先生は本気なんですよ。 殴られながら、おっ、先生も本気で戦ってるな、たいしたもんだと思ってました。 だから、殴られて恨んだことは一回もない。むしろその先生を好きでしたね。 卒業してから七大陸最高峰登頂の挑戦をはじめて、エベレストで何度か失敗が続て、 もうやだな、やめようかなと思ったときに、ふらっとイギリスに行ったんです。 立教に一週間くらいごろっとしながら高校時代のことをいろいろ思い出して、 よし、もう一回頑張んなきゃなと出直したんです。 | |
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村山 | あ、この先生本気で向かってきてるということをちゃんと受け止められるというのは、 やっぱり野口さんの中にそれを受け止める下地があったということじゃないですか。 | |
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野口 | いや、子供って意外に醒めた目で大人を見てますよ。 あのとき、先生の熱意を感じられずに殴られていたら、たぶん恨むんです。 「チクショー」はありましたけど「あの野郎」はなかった。 チクショーと思うのって大事なんですよね。 | |
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村山 | そのチクショーの力の向け先さえ間違えなければ、 その機会を与えられるのは大事だと思う。高校生に向けて講演するときにはいつも、 コンプレックスはどんどん持ちなさいっていうんです。だって奮起するキッカケになるもの。 | |
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野口 | それから危機感ですね。ぼくも停学になったときに非常に危機感を感じた。
このままだらだらいったら何もできなくなる。
危機感を突きつけられてはじめて目がパッと開いた感じでした。 ぼくも大学入るなんてまったく考えてなかったんですけど、先生にどうせ無理だといわれて、 それこそコンチクショーと思った。 そしたらその先生が、「お前亜細亜大学を受けないか。 一芸一能入試というのがあって、よくわからないけど勉強ができなくても入れるらしい」 っていうんです。それで受けることにして、集団面接を受けに行くわけです。 先生たちが向こう側に並んで、生徒の方は一人ずつ十分くらい時間をもらってそれぞれアピールする。 ぼくは五人目で、前の人たちの話を聞いていると、みんないろんなレベルで超一流なんです。 しまったと思いましたね。 ぼくはまだほとんど山に登っていなかったから。 でも、気づいたんです。みんな、高校時代にこれだけすごかったということはいってても、 大学へ入って何をするのかが欠けている、と。そこでぼくはこういったんです。 「ぼくは、ここにいるみなさんと違って、高校時代はほとんど実績がありません。 ただ……」といってそこで紙を出したんです。紙を出すとみんな注目してくれるでしょう(笑)。 1992年、亜細亜大学入学って勝手に書いて、同年8月、オーストラリア大陸最高峰登頂、 12月南米大陸最高峰登頂、93年北米大陸最高峰登頂、94年南極、96年エベレスト登頂と 、6年計画を読み上げて、「これは私の公約ですから、もしこれができなかったら私は卒業しません。 これからの私に賭けてください」と。 それまで自慢しか聞いていないから先生も飽きていて、逆の攻め方をするとぽっと乗ってくれる。 それで通ったんですよ。 | |
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村山 | 危機に際して、ぱっと傾向と対策を立てて攻めに転じる。 山登りにも通じますね。 | |
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![]() 人生を変える本 ![]() | ||
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野口 | それで、入学式が終わった直後に、学長室に来なさいと呼び出しを受けたんです。 ぼくははったりだけで入ったと思ってましたから、何かばれてたかなと、 恐る恐る学長室へ入ると、エトウシンキチさんという、 一芸一能入試を発案した学長さんが、おっかない顔して座ってるんですよ。 「おお、来たまえ」といわれて近づいて書類を見たら、ぼくの高校時代の成績表のコピーなんですよ。 「野口、お前はほんとに成績悪いな」「たしかに悪いです。 でも亜大に入ったからには……」そしたら、ニカッと笑って、 「おい、亜細亜大学は偏差値じゃなくて、個性値だ、アハハハ。 ただ一つだけ、山に登るというのは頂上に行ってちゃんとベースキャンプに戻って来なくては意味がない。 大学もどうせ入ったら何年かかってもいいから出ろ」と。 約束通り、八年かかってなんとか出ました。 | |
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村山 | 一芸一能で入ってみえた人たちはそれぞれ個性があるから、 いろんな価値観がぶつかり合うというところがあるでしょう。 それって海外に出ていくのと同じことだと思うんですよ。 私も取材などで海外へはよく行くんですけど、なんで行くかというと、 違う価値観と出会って自分がいままで常識だと思っていたことが常識じゃないんだということを知って、 自分の根本を揺さぶられるからなんですね。 そういうことって、日本の中にじっとしているとなかなか気づかない。 若いうちに、それこそ借金してでも。 自分の価値観がくちゃくちゃにされるような経験をもっとしたほうがいいんじゃないかと思うんですよ。 | |
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野口 | それに、借金って結構返せるもんですね。
大学三年のときに山へ行くので六百万の借金をしましたが一年で返しましたよ。
親から借金するとだめですけど、会社とかいろんなとこから借金すると返すことが切実ですからね。
停学もよかったけど、借金も結果的にはよかった。
一見マイナスのようでマイナスじゃないんです。自分への批判もそうですよ。 批判されるとますます気が入る。いま清掃登山をやっていますけど、 それに対してけっこう批判もあって、批判が来ると、よし、来た来たと思って。 変に褒められるよりも、批判されたほうがエネルギーになる。 |
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村山 | 批判されて落ち込んでいる自分を客観的に見るという経験もすごく新鮮なんですよね。 |
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野口 | 批判に対してじいっと耳を澄ましていると、その中にヒントがあるんですよ。 |
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村山 | 考え方や価値観が違ったりするんだけど、 その人さえもいつか味方に引きずり込んでやろうと。 |
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野口 | 闘志が出てくるでしょ。だからコンチクショーは大事ですね。 そこからテンションが上がってくる。 |
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村山 | 停学中もそうだったんですか。 |
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野口 | 追いつめられてはじめて、これはやばいなと思っていたちょうどそのときに、 植村直己さんの『青春を山に賭けて』という本に出会って、そこでぼくの方向が決まったんです。 同じ本を読んでも、そこまで追いつめられていなかったらまた違ったでしょうね。 |
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村山 | 本にも、出会うべき時期があるんですよね。
私は、好きな本をひたすらくり返して読む癖があるんです。
小学校五年生のときに出会った本で、スタインベックの『二十日鼠と人間』というのがあって、
筋はわかるんだけど意味はチンプンカンプンなんです。
それでも理不尽なものが残る悲しい結末だから、気になって何遍も読むんですよ。
高校のときに二、三年ぶりにまた引っ張り出して読んだら、
それまで見えなかったことがパーッと見えてきて、感動したんです。
変わっていくこと、そのこと自体が面白いと思ったんですね、そのとき。 そのころからお話を作る人になりたいと思ってましたから、一回読んで捨てられる本は書きたくない。 できれば本棚の特別なところに置いてもらって、 読むたびにいつも感じ方が変わっていくようなそういうものを絶対書くんだと、 何十回目かで『二十日鼠と人間』を読んだそのときに思いました。 |
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野口 | ぼくもその植村さんの本はくり返し何度も読みました。 授業中に、いつも同じ本をいつも同じ顔して真剣に読んでいるもんだから、 隣に座っていた女の子は不思議がってましたけどね。 いまでも山にいくときはその本は必ず持っていきます。 落ちこぼれて就職も決まらずにいた植村さんの境遇が、やがて彼の冒険につながっていく、 まさしく「落ちこぼれ」のぼくにはその本は救いだったんです。 |
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村山 | 人でも本でも、そういう出会いって必ずあるんですよね。 もしかしたら、いまの高校生たちの中には自分たちには何もないとか、 まだ出会ってないと思う人がいるかもしれないけれど、 出会ってるのに気づいていないのかもしれないし、前は何とも思わなかったのに、 いま読んだら違って見えるかもしれない。 先ばかり見てないで、これまでのことを振り返ってみることも必要だし、 あまり焦らなくてもいいんじゃないかなあ。 |
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野口 | 山もまったくそうなんですよ。山と人生というのは同じで、真ん中にいて、
上を見て歩くのと下を見て歩くのとでまったく違う。
自分の気持ちによっては上に行くし、下にも行ける。 植村さんは自分の生き方を本に書いて残したわけですね。 ぼくはその一冊の本で人生が変わった。本ってすごいなあと思いました。 やっぱり行動する人は同時に表現者じゃなきゃいけないんですよ。 だからぼくも日記を書いたり、 ホームページ もやってますし、 本も出す。そうやって自分の活動を積極的にアピールしていきたいですね。 |
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村山 | いつかは、野口さんの本や私の小説を読んで人生が変わる人が出てくるかもしれませんものね。 (了) |
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のぐち・けん●アルピニスト。1973年、アメリカのボストン生まれ。
16歳で欧州最高峰モンブランを登頂。
19歳で五大陸最高峰を、又25歳で七大陸最高峰の最年少登頂記録を当時うちたてた。
2000年春、新たな挑戦としてエベレストのゴミを回収すべく清掃登山隊を結成。
東京都より「都民文化栄誉章」を受章。
著書には『落ちこぼれてエベレスト』(集英社インターナショナル刊)がある。
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むらやま・ゆか●作家。東京都生まれ。大学卒業後、会社員、塾教師などを経て執筆活動に入る。
'93年『天使の卵(エンジェルス・エッグ)』で第6回小説すばる新人賞を受賞。
主な著書は『BAD KIDS』『野生の風』『青のフェルマータ』『きみのためにできること』『翼』。
エッセイ集『海風通信カモガワ開拓日記』など最近著は『約束』(すべて集英社刊)。
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