第36回全国高校生読書体験記コンクール
【全国高等学校長協会賞】
 

 見えない魔物との付き合い方
千葉県 筑波大学附属聴覚特別支援学校高等部 1年  渡会 由貴 
 

 「KY語」という言葉を知っているだろうか。以前、「JK(女子高生)」を中心に流行した、ローマ字表記した単語の頭文字を取った略語のことだ。その代表的な表現である「空気が」「読めない」の頭文字をとって「KY語」と言われるようになったそうだ。
 そんな「空気」に関する本を、私はこの夏読んだ。日本人にとって常に判断の基準となるものは「空気」だと説く『「空気」の研究』。その「空気」とは何だろう。作者は「教育も議論もデータも、そしておそらく科学的解明も歯がたたない“何か”」であり、「非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』」だと述べている。例えとして、第二次世界大戦での戦艦大和の沖縄への出撃を引用しているが、知識も見識も情報も持っていた軍司令部が無謀な作戦を実行したのは、「ああせざるを得なかった空気」があったためだと結論付けている。
 我々日本人は、「空気」をとても大事なものと考えている。 会話の際に、意識して曖昧な表現や婉曲な言い方をすることがある。そして、会話の間合いや語尾に含まれる感情などを推し量りながら、話を繋いでゆく。そこに流れる空気を敏感に察知し、壊さないようにする。つまり、「的確に空気を読む」ことをとても大切にするのだ。
 そんな空気を、実は私はこの本を読むまで意識したことがなかった。しかし今考えると、空気によって誤った行動をしてしまった過去がある。一人の友達に意地悪をしてしまったのだ。 「遊びのつもりでやってしまった」「教室全体がなんとなくそんな空気だった」としか言えない。結局そのとき教室にいた全員が明確な理由を説明できるわけもなく、担任の先生に厳しく注意を受けた。今でも時々思い出しては深く反省する、幼い頃の出来事だ。
 見えないけれども確実にそこに存在し、時には誤った判断をさせる。そんな「空気」について悲しい言葉を聞いたことがある。「聴覚障害者はKYだ」というものだ。実を言うと、私は生まれながらの感音性難聴で、物心がついたときにはすでに補聴器を装用していた。地域の療育センターや聾学校で、発音や言語獲得の訓練を受けてきた成果で、今では、やや不明瞭ながらも音声での発語や、年相応の知識を習得できたと思っている。しかし実際の会話では、話の流れを手掛かりに、聞こえる音(言葉ではない)と相手の口形を見て、どんなことを言ったのか推測して返事をしている。そのため、ぽそっとつぶやいたり、途中で濁した言葉は、無かったものとなるのだ。そのうえ、話を聞きつつ言葉の組み立てを必死で探っているため、微妙な表情の変化までは見えてはいないのだ。このような難聴の特性が、空気が読めないと言われてしまう理由の一つかと思うと悲しくなった。
 その一方で、私には「空気を気にし過ぎる」面もある。会話の途中で、たとえ相手の言うことが分からなくても、その場の空気をなんとか乱したくない一心で、曖昧な微笑みを浮かべてしまうのだ。それを家族や友達との間だけでなく、大切な場面でも使ってしまっていた。この夏、ある大学のオープンキャンパスに参加した。事前に難聴だと伝えていたため、職員の方が個別に学内を案内してくださったが、顔の向きや口調によっては聞き取れないところがあった。しかし、私はこの微笑みを浮かべながら、さも理解しているかのようにうなずいていた。これは、ただ自分が情報を得られなかっただけではなく、時間を割いて案内してくださった方にもとても失礼なことだった。また、同じくこの夏、ある大学の科学教室に参加した際に、空気を気にするあまり、誤った行動をとってしまった。この時も事前に障害の程度を知らせていたため、丁寧に説明していただいた。しかし、実験を進めるうちに作業に夢中になり説明を聞き逃していた。「わかった?」と聞かれたときには、周りの人は着々と作業を進めていて、早く次の作業へ進みたいという空気ができていた。その空気に逆らい、もう一度説明してもらうことはできず、ついいつもの微笑みで答えてしまったのだ。当然次の作業が分からず、後から聞き直しに行ったのは言うまでもない。これは、特に社会に出た場合には致命的な失敗につながりかねない出来事だった。
 私たちが人との関わりを持つ際、確実にそこには空気が存在する。空気の流れで皆の心が一つになることもあれば、孤立してしまうこともある。歯が立たず、ほぼ絶対的な支配力を持つ空気はまさに魔物である。その魔物に流されるばかりでは、取り返しのつかない失敗を招くこともある。その場の空気に従うべきか否かを判断し、時には空気を乱してでも自分の判断に従う勇気が必要だ。しかしそれは教えられて身につくものではないのだ。多くの人と関わり、経験を積むことによって培われていくものなのだ。そのことを常に意識しながら生活していきたい。



体験書籍 
『「空気」の研究』山本七平・著 


BACK
 
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.