第36回全国高校生読書体験記コンクール
【一ツ橋文芸教育振興会賞】
 

 私の在り方
高知県 高知学芸高等学校 2年  公文 琴音 

 「悩みとかなさそう。」私が生きてきた十七年間で何百回と言われた言葉だ。
 私たち人間が生きていくうえで「悩みがない」などということはありえるのだろうか。私が思うに人間とはつねに悩みと隣り合わせで生きている。純真無垢な小学生、思春期真っ只中の中高生、大人に近づく大学生、必死に働く社会人、余生を楽しく過ごす高齢者。彼ら全員何かしらの悩みをもっているはずだ。
 書店を訪ねてもこれだと思える作品を見つけられず手ぶらで帰ってきた私の目にとまったのは居間の机に置かれていたこの本だった。まるで私が手ぶらで帰ってくることを最初から知っていたかのようにその本は私の目の前に現れた。
 手にとってまじまじと見つめてから気がついたのだが、この本を読む父の姿を見かけたことがあった。きっとここで父が読んでいたのだろう。
 私は昔から周りの空気を敏感に感じとることができた。いわゆる『空気をよむ』能力が幼いながらに備わっていた。相手が望む言葉を返し、相手が望む空気を作った。そして、そんな私の在り方はこの本での否定の対象であった。
 「自己をあらわにせよ」この言葉の本当の意味が分かったとき、恐ろしかった。そして悲しくなった。
 私はきっと心のどこかで優越感に浸っていたのだろう。ひとつの枠に囲まれた空間を私は枠に入ることなく外から眺め、一人大人ぶっていた。そしていつのまにか自分の考えをなくしていた。空気をよみすぎて自分も空気になってしまっていたのだ。自己をあらわにせず周りに同調してばかりの人間の在り方は空気だった。
 それが分かった時、恐怖や悲しみという感情は生まれたが、驚きというものは全くなかった。自分の中で分かっていたのかもしれない。自分は周りにとって空気なのだと。そして心のどこかで私はその在り方を心地よく感じていたのだと思う。本当の自分を知られたくないがために人と深く関わることを避けていた。
 人間は誰でも心の奥に本当の自分を隠し持ち生きていると私は思う。そして多くの人はそれを理解していないのだろう。自分でも分からない本当の自分の存在。きっとそれが分かってしまうと人は弱くなるのだろう。皆必死に自分を強く見せようとしているのだ。
 しかしながら、人間とは一人で生きていけるはずもなく、弱い自分を見せられる場所を見つけるのだ。枠の外にいた私にはその場所がなかった。そして私は気づいたのだ。
 「悩みとかなさそう。」この言葉が私に何故こうも多く投げかけられるのか分からなかった。この言葉が意味していたのは私の周りへの関わり方だった。
 友達はたくさんいるが、「親友は誰?」という質問には答えられなかった。本当の自分を決して見せず、深く関わることをしなかった自分。周りが私に悩みがないと思うのも当たり前なのだ。それをかたくなに見せなかったのは自分なのだから。
 十七歳にしてようやく自分を理解した時にとてつもなくさびしい気持ちになった。今まで自分の中で保ってきた何かがいっきに崩れ落ちた音がした。
 しかし、ニーチェは私に救いの手を差しのべてくれた。
 ──自己をあらわす場所がない人はさびしい人だ。だがとても強い人だ──
 このことに気づいたとき、何か熱いものがこみあげてきて、私のほほをぬらした。完全に崩れ去ったと思ったものが少しずつたちなおり始めた気がした。
 私は自分を隠すのに必死だった。だからこそどんな時でも自分を隠すカーテンとして笑顔を作っていた。弱さを隠すための嘘をたくさんついた。それらのずるい行動をニーチェは強いと言ってくれたのだ。
 私は今もまだ『空気をよむ』ことを決してやめない。それが私の在り方だから。ただ一つ変わったことがある。思い切って枠の中に飛び込んでみた。ちゃんと近くで人の気持ちを感じることにしたのだ。
 世界は百八十度変わった。ニーチェの言葉で私の世界は変わったのだ。人の温かさを近くで感じ、人の持つさびしさをも近くで感じた。相談できる親友ができた。
 悩みをもつ人間の心情は様々だが、それときちんと向き合いながら全員が人生を歩んでいる。「悩みとかなさそう。」この一言に込められたたくさんの意味を理解し私は成長することができた。
 ただの空気だった私が十七年目にしてやっと口をもつことができた。自分の本当の在り方にようやく気が付いたのだ。



体験書籍 
『超訳 ニーチェの言葉Ⅱ』フリードリヒ・ニーチェ・著 
白取春彦・編訳 


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